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ハンセン病 疑惑の解剖記録

 岡山県沖の瀬戸内海に浮かぶ長島(現・瀬戸内市)の海辺で、右脚が義足の女性の遺体が見つかった。

 太平洋戦争開戦の年となる1941(昭和16)年1月17日。午前6時を回ったころだった。

 遺体の身元は政石コメさん。

 1878(明治11)年生まれ、当時62歳。愛媛県南西部の農村で7人の子どもを産み、慈しみ、育ててきた。

 遺体は、小豆島を望む長島の南岸にある桟橋の先で浮かんでいた。検視の結果、自死と判断され、解剖に回された。

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長島愛生園の南岸にある古い桟橋。政石コメさんの遺体は桟橋の先の海面で見つかった。写真左奥に見えるのは小豆島=2024年6月4日、岡山県瀬戸内市邑久町虫明、雨宮徹撮影

 それから約80年がすぎた2023年7月、コメさんのひ孫の三好真由美さん(62)=松山市=のもとに、コメさんの死亡に関する書類が届いた。

 いてつくような海の中へ入って自ら命を絶ったのは、どんな思いだったのだろう。

 「カルテ」「死亡届」「死体検案書」……。三好さんは曽祖母の胸の内を推し量り、資料を目で追っていく。

「不治の病」に激しい差別

 そのうち、資料の一部に不可解な記述があることに気づいた。

【連載】ハンセン病 疑惑の解剖記録

岡山県の国立ハンセン病療養所で見つかった約1800人分の解剖記録の一部から、不可解な記述が数多く見つかりました。各地の療養所で実施された解剖は多くの問題をはらんでいました。新たな実態が浮かび上がります。

 コメさんは病を隠し続けてき…

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